2013年1月23日
「失踪した曙涯人花嫁の謎」
ワールドSF特集の最後の翻訳作品アリエット・ドボダール「失踪した曙涯人花嫁の謎」をアップしました。現在とは違う世界の違う世界観とテクノロジーを、とくに非アメリカの視点からアメリカを舞台にして描いた作品です。古いハードボイルドの体裁になっているのが、よけい異質さをきわだたせているように思うのですが、いかがでしょうか。
小川
2013年1月10日
ジェイ・レイク
とても悲しいことだけれど、ジェイ・レイクの容態がひどく悪くなっているそうです。去年の夏に癌の再発と転移が見つかって、それから化学療法をつづけていたのだけれど、また暮れに新たな転移が見つかったそうです。余命は1、2年だそうで、養女の成人はおろか、高校卒業も見届けられそうにないということで、ご家族はたいへん落ちこんでいるようです。
いまそのジェイの最後の1年を記録映画に残そうという計画があり、そこでは制作資金を募集しています。
オバマの医療保険改革の恩恵に浴したとはいえ、高額な医療費も予想され、その援助の募金も近々はじめられるということです。横浜のワールドコンにきてくれた数少ない新世代作家ですし、短篇の楽しさも、人柄の温かさも印象に残っています。資質的にはどうも長篇作家ではないような気がしますが、もっと紹介してあげればよかったと思います。ぼくたちにできることはあまりないかもしれないけれど、ともかく彼が生きた証を残そうと必死になっていることはひしひしと感じられます。この映画を見てみたいという方は、どうか資金援助をしてあげてください。右側に援助額に応じた特典が説明されています。 小川
いまそのジェイの最後の1年を記録映画に残そうという計画があり、そこでは制作資金を募集しています。
オバマの医療保険改革の恩恵に浴したとはいえ、高額な医療費も予想され、その援助の募金も近々はじめられるということです。横浜のワールドコンにきてくれた数少ない新世代作家ですし、短篇の楽しさも、人柄の温かさも印象に残っています。資質的にはどうも長篇作家ではないような気がしますが、もっと紹介してあげればよかったと思います。ぼくたちにできることはあまりないかもしれないけれど、ともかく彼が生きた証を残そうと必死になっていることはひしひしと感じられます。この映画を見てみたいという方は、どうか資金援助をしてあげてください。右側に援助額に応じた特典が説明されています。 小川
2013年1月2日
表記のこと
このところひどく気になっていることがある。外国の名前の表記だ。実際に外国に出かけたり、外国から人がきたりして交流する機会も多く、ましてインターネットではインターネット・ラジオだの、ポッドキャストだの、ユーチューブだの、さまざまな形で原語に接する機会は多い。映画ともなれば、断固吹き替え拒否という人も多く、それだけ語学力はついてきていいはずなのに、じつに不思議な表記を目にする機会が増えている。
とくに気になったのがミーガンという表記だ。原音表記のつもりだろうが、正しい発音はメーガン(メイガン)で、略称はメグだ。メの部分にアクセントがあるというのを早とちりしたのだと思うのだけれど、いったいどこからこんな表記がはじまったのだろう。ローマ字読みにしてもメガンにしかならないのに。
もっとも、こうしたえせ英語通の表記はいまにはじまったことではない。車のメーカーのドッジはむかしからダッジという誤表記がまかりとおっている。ドッジボールという正しい言い方をふだんしているにもかかわらずだ。半可通の人はドジャーズまでダジャーズなどといっているから笑ってしまう。
ドルーという名前もそうだ。中学英語で不規則活用の動詞を覚えるのに、drawやblowの活用形はみんな勉強しなかったのだろうか。ケン・リュウの綴りがLiuになっていることからもわかるように、アメリカ人はリューという発音が苦手だ。革命だって、リヴォルーションだし、そのほうがリヴォルヴァーと同系列の語だとわかって便利なはずだ。
ただ、間違いが怖くてローマ字読みがまかりとおるのもいただけない。世界中で大ヒットしたアニメ『小公女セーラ』を知っているくせに、Sarahは平気でサラと書いてしまう翻訳者の多いこと。正しい音はセアラだが、二重母音はふつう頭の母音の長音で表すから、セーラならありだろう。ホール&オーツやジェファースン・スターシップのヒット曲で耳から入っている人も多いのに、なぜ間違えるのかが不思議だ。
ジョナサン・リーサムのように会う人ごとにおれはリーサムだといっている作家の表記がなおらないのも不思議だし、リサ・スコトリーネのようにイタリア系の名前がなぜか英語読みもどき(綴りをみれば英語ではないことは一目瞭然だ)のままの人もいる。ペレカーノスも惜しいところでちゃんと表記してもらえていない作家だ。
親しみやすい名前なら原音にこだわることはないという人もいるだろう。でも、ヤマザキかヤマサキか、オヤマかコヤマか、同国人だってちゃんと名前を呼んでもらうことにはこだわるのに、まして知らない国で適当な名前で呼ばれているなんて知ったら不快に思わないだろうか。親しみやすいからといって、三国志の英雄で関帝廟にもまつられているひとのことを、セキさんとか呼んでいいものだろうか。日本風の読み方でいいという考えに、どこか戦前の創氏改名につうずる傲慢さを感じてしまうのはぼくだけだろうか。
もちろん、正確な音を50音で表記することはできない。あくまで近似値だ。それをいったら翻訳など成り立たない。でも、なるべく正しい音で覚えてあげることは、外国の人や文化に接するときの礼儀ではないだろうか。洋画や翻訳書に人気がなくなってきているというのも、いい加減な表記が増えているのも、そうした外国とのつきあい方が苦手になっていることの現れのよう な気がしてならない。
読みに自信がなければ聞けばいい。オーディオブックだってふつうに出ているだろう。メールだってできるはずだ。そもそも難読名前の作家はインタビューでかならず発音を聞かれている。NFLをはじめ、プロスポーツの選手だって、最近ではテレビで名前を全員が名乗る。難読だからこそ、ちゃんと覚えてほしいというのは人情だ。まして、ふつうの名前なら間違えるほうがおかしい。
ああ、気になる。
とくに気になったのがミーガンという表記だ。原音表記のつもりだろうが、正しい発音はメーガン(メイガン)で、略称はメグだ。メの部分にアクセントがあるというのを早とちりしたのだと思うのだけれど、いったいどこからこんな表記がはじまったのだろう。ローマ字読みにしてもメガンにしかならないのに。
もっとも、こうしたえせ英語通の表記はいまにはじまったことではない。車のメーカーのドッジはむかしからダッジという誤表記がまかりとおっている。ドッジボールという正しい言い方をふだんしているにもかかわらずだ。半可通の人はドジャーズまでダジャーズなどといっているから笑ってしまう。
ドルーという名前もそうだ。中学英語で不規則活用の動詞を覚えるのに、drawやblowの活用形はみんな勉強しなかったのだろうか。ケン・リュウの綴りがLiuになっていることからもわかるように、アメリカ人はリューという発音が苦手だ。革命だって、リヴォルーションだし、そのほうがリヴォルヴァーと同系列の語だとわかって便利なはずだ。
ただ、間違いが怖くてローマ字読みがまかりとおるのもいただけない。世界中で大ヒットしたアニメ『小公女セーラ』を知っているくせに、Sarahは平気でサラと書いてしまう翻訳者の多いこと。正しい音はセアラだが、二重母音はふつう頭の母音の長音で表すから、セーラならありだろう。ホール&オーツやジェファースン・スターシップのヒット曲で耳から入っている人も多いのに、なぜ間違えるのかが不思議だ。
ジョナサン・リーサムのように会う人ごとにおれはリーサムだといっている作家の表記がなおらないのも不思議だし、リサ・スコトリーネのようにイタリア系の名前がなぜか英語読みもどき(綴りをみれば英語ではないことは一目瞭然だ)のままの人もいる。ペレカーノスも惜しいところでちゃんと表記してもらえていない作家だ。
親しみやすい名前なら原音にこだわることはないという人もいるだろう。でも、ヤマザキかヤマサキか、オヤマかコヤマか、同国人だってちゃんと名前を呼んでもらうことにはこだわるのに、まして知らない国で適当な名前で呼ばれているなんて知ったら不快に思わないだろうか。親しみやすいからといって、三国志の英雄で関帝廟にもまつられているひとのことを、セキさんとか呼んでいいものだろうか。日本風の読み方でいいという考えに、どこか戦前の創氏改名につうずる傲慢さを感じてしまうのはぼくだけだろうか。
もちろん、正確な音を50音で表記することはできない。あくまで近似値だ。それをいったら翻訳など成り立たない。でも、なるべく正しい音で覚えてあげることは、外国の人や文化に接するときの礼儀ではないだろうか。洋画や翻訳書に人気がなくなってきているというのも、いい加減な表記が増えているのも、そうした外国とのつきあい方が苦手になっていることの現れのよう な気がしてならない。
読みに自信がなければ聞けばいい。オーディオブックだってふつうに出ているだろう。メールだってできるはずだ。そもそも難読名前の作家はインタビューでかならず発音を聞かれている。NFLをはじめ、プロスポーツの選手だって、最近ではテレビで名前を全員が名乗る。難読だからこそ、ちゃんと覚えてほしいというのは人情だ。まして、ふつうの名前なら間違えるほうがおかしい。
ああ、気になる。
2012年12月31日
ワールドSF ローレン・ビューカス短篇
【ワールドSF特集】
南アフリカの作家、ローレン・ビューカスの短篇「ウナティ、毛玉の怪物と闘う」をアップしました。
Zoo Cityの映画化や邦訳で話題になっている作者ですが、本作品は遊び心満載の超ポップなエンターテインメント作品です。
南アフリカの作家、ローレン・ビューカスの短篇「ウナティ、毛玉の怪物と闘う」をアップしました。
Zoo Cityの映画化や邦訳で話題になっている作者ですが、本作品は遊び心満載の超ポップなエンターテインメント作品です。
2012年12月26日
外国語で書くということ
作業が遅れていますが、アリエット・ドボダールのエッセイ「外国語で書くということ」をアップしました。英語で書くことの意味はまた特集解説でふれますが、じっさいに外国語で書くということに関して、ドボダールのような同じインドヨーロッパ語圏の作家でもかなり苦労していることがおわかりいただけるかと思います。このエッセイ自体が、けっしてすぐれた英語で書かれているわけでもありません。それでもSFを書いていきたい、世界のSFとつながっていたい、という思いがひしひしと伝わってくるので、同じアジア系の人だということもあり、ぼくはこの作家にすごく親近感を抱いています。
マヤ暦はひとまわりして、また新しい時代に入りました。こういう新しい感覚のグローバルな作家が出てくるのはほんとうに楽しみです。近いうちにまた作品もご紹介します。この新しい動きを理解していただく参考にしていただければ幸いです。
小川隆
2012年12月17日
ワールドSF ラヴィ・ティドハー
いろいろあってたいへん遅くなりましたが、ラヴィ・ティドハーの「オレンジ畑の香り」The Smell of Orange Grovesをお届けします。イスラエルの作家ですが、世界中を旅していて、イスラエルという土地やユダヤ人という出自にかならずしもとらわれない作品を書いています。SFというのは本来そういうものだったはずで、そこにぼくはすごく惹かれます。ただ、このシリーズはやはりイスラエルに住んでいる作家ならではのもの。もちろん、世界幻想文学大賞を受賞した長篇Osamaとその関連作品もすばらしいですし、スチームパンク三部作のThe Bookmanも最高なのだけれど、こうして地元を舞台にした作品を書けるようになったのが、作家の成熟だと思います。SFファンにはテーマが微妙で、ファン以外にはアイディアがわかりにくいかもしれないけれど、このスタイルがようやく作者がたどり着いた世界だと思います。お楽しみいただければ幸いです。
小川
2012年12月1日
The Loving Dead
アミリア・ビーマーの2010年のデビュー長篇The Loving Deadのレビューをアップしました。短篇掲載と前後しましたが、併せてお楽しみください。
英米では相変わらずすばらしい小説が書かれているのに、流行がおかしな方向に向かっていっているのが残念です。流行もご紹介しますが、隠れた名作、傑作が数多く生まれているので、流行にとらわれない作品ももっとご紹介していきたいと思います。よろしくお願いします。
小川隆
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