2015年12月24日

ノスタルジーと未来感、幻想と生々しさが同居する――Kathryn Davisの"Duplex"は唯一無二の小説

 舞台は新学期を迎えようとしている郊外住宅地。男の子は外遊びに、女の子はカードやステッカー集めに興じている。大人は子供を見守りながらハイボールのグラスを傾け、その目のまえを蛍が飛んでゆく……なんて書くと、ノスタルジックな雰囲気の郊外小説みたいなんだけど、空には青緑色の光を放つ帆船が浮かんでいて、ごくふうつうにロボットが隣人として暮らしているし、さりげなく魔法使いまでいたりする。でも、語られるのは魔法使いと先生の情事だったり、とある男の子と女の子の恋愛だったりするし、さらにはパラレル・ストーリーとして、その世代の少しあとの女の子ジャニスが当時やそれ以前のこと(〈ビーズの雨〉事件や〈潜水士〉の末路)を年下の女の子たちに語り聞かせるというものもあって、半分くらいいっても話がどこに向かっているのかまったく見えてこない。しかも、登場人物たちが町から出ていっちゃうし! ちょっとどこに行くのよ、そしてこの話もどこに向かっているのよとか思いながら、先が読めない・わからないから夢中になって読み進めてしまい、気づくと残りわずかになっていて……
 幻想的な方向へふわふわーっと飛んでいきそうになると、性や肉体の描写で現実に引き戻される感覚がおもしろいんだけど、そういう演出をつうじて、少女の生きる、空想と現実の入り交じった世界を表現しているように思える。あと、全体的に幻想的で夢のなかのような雰囲気なんだけど、知らず知らずのうちに、でも確実に時は流れ、少女たちはいつのまにか大人の女に、大人の女は老女になり、同時に新しい世代の少女たちが育っている。一人一人の少女は時の波に流され、のまれ、ときには進んで沖に向かい、やがて海の一部となってしまうのだけど、潮が引けばまた満ちるように、少女という生き物は永遠につづいてゆく。そういう少女の儚さと永続性を、いつのまにか過ぎゆく時間と人間の営みの反復性を強く感じさせながら描いている。
 冒頭からときおり顔を覗かせる語り手は最後まで正体が分からない。でも、年齢がどうであれ、少女であるらしいことはほのめかされている。少女という生き物が世代から世代へと永遠に続いてゆくように、一人の少女の内にも不滅の少女性がある。それを忘れずに育った大人の少女にぜひお薦めしたい作品。


2015年11月26日

ミニマリズム

 クリッシー・ハインドの自伝が出たと聞いて、思い出したことがある。彼女が率いているバンド、プリテンダーズのことだ。女性のいるバンドにはなぜか惹かれることが多く、当然ながら、プリテンダーズも大好きなバンドだった。でも、1982年の来日公演を見て、レコードとは違う大きな衝撃を受けた。
 それまでのロック・コンサートは感覚や精神を広げて解き放つ体験をしにいくものだった。サイケデリックが出てきたのも、プログレが出てきたのも、やたら楽器のインプロヴィゼーションが長かったのも、もっと遠くに想像力を運ばせたいという気持ちが聴き手にあったからだし、ミュージシャンも同じ気持ちだった。でも、プリテンダーズは違った。耳に心地よいサウンドではあるのだけれど、快感を解放して新しい世界をのぞかせてくれるというよりは、ひたすら聴き手をステージに釘付けにしていく求心力のあるサウンドだったのだ。何か似た経験があると思って、連想したのがボブ・マーリーのライヴで、やはり圧倒的なステージへの求心力をもった演奏だった。それはボブが持っていたカリスマのせいだと思ったし、そう思ってみると、このバンドはやはりクリッシーのバンドで、彼女の個人的な魅力が聴き手をも引っ張っていくのだろうと考えて、妙に納得したものだ。
それまでのバンドは、ビートルズのようにメンバー全員を平等に前に押し出して、メンバーの集合体として存在するものか、バンマスがいたり、ヴォーカルやギターのフロントマンがいて、中心メンバーとバックミュージシャンという分業制のミニ会社のようなものか、ドアーズやデッドのようにめざすところは違ってもバンドとしてのアイデンティティを築こうとするコミューナルなものだった。ジョン・ヴァーリイのSFにも見られるように、ぼくたちの世代の関心事はぼくたち人間にとってどのような集団を形作るのが幸せかということだった。だから、リーダーというより、魅力あふれる中心人物を核にすえてみんなが力を合わせていくやり方というのは思いもよらなかったもので、斬新に思えた。
じつはこれに似た体験をまったく違うところでしたことがある。ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』を読んでいたときだ。翻訳ではわからないだろうが、途中で文体がジェイン・アン・フィリップスの強い影響下にあるのはわかったものの、ぐいぐいと引きこまれていく感じが「記憶屋ジョニー」などそれまでの短篇を読んでいたときとは違ったものだった。小説に引きこまれるのはふつうのことだと思われるかもしれないが、独特の求心力のある書き方だったのだ。もちろん、最初はやはりボブ・マーリーを連想した。宇宙ステーションをラスタファリアンが牛耳っている世界だというので、当然な連想だが、どうも違う気がした。そしてはっと気づいたのだ。プリテンダーズだ! すごくうれしくなって、ギブスンに会ったときに早速話してみた。すると、やはりモリーのモデルはクリッシーだというではないか。これはたしかにケイシーの視点で語られる話だけれど、本当の中心はヒロインのモリーにあったから、すごくよくわかった。当時のインタビューではギブスンはモリーのモデルは映画《エイリアン》のシガニー・ウィーヴァーだと語ることが多かったが、最近ではクリッシーだといっている。あのころは《エイリアン3》の脚本の話もあったりして、映画界にリップサービスをする必要があったのだろう。作家なんて現金なものだ。いまなら本音を語れるというのか。ともかく、ぼくの小説の読みがきちんと作家と同じ文化の枠にあることがわかってうれしかったのを覚えている。
だが、実際にはあの読書体験はモリーの物語としての求心力ではなかったような気がする。読書中に共感覚が呼び覚まされるとしたら、それはキャラの問題ではないはず。むしろ、文体とかリズムとか、そういったもののはずだった。それが長年頭の片隅にひっかかってなかなか氷解しない謎だった。
ところが、最近になってそれが解けた気がする。あれはギブスンの文章がもっているビートだったのだ。ビートというのは言葉で説明するのはむずかしい。リズムでもなく、テンポでもなく、しいていえばノリのようなものだ。イギリスのロックにあってアメリカのロックに希薄なものがこのビートで、ともすればアメリカのロックはロックンロールや古いダンス・ミュージックに回帰してしまいがちだ。あるいは切れ味といってもいいかもしれない。ギブスンの文章に特徴的なのは、当時の先鋭的なミニマリズムの作家と同じ、エッジの効いた文体だったのだ。
わかってみると、プリテンダーズの求心力もクリッシーへの求心力ではなく、ビートに純化されていく感覚だったように思う。パンクからニューウェーヴへという流れで一貫して模索されていたのが、ビートがすべて、という思いだったように思う。それまでのサイケデリックやジャム・バンド、プログレやジャズロックが模索していたような、さまざまな楽器が紡ぎ出す音の広がりや時空的拡張を嫌い、ひたすらいま、ここにこだわり、ミュージシャンも聴衆もビートと一体化した存在となることをめざしていたのが、あのころの音楽だったように思えるのだ。そう考えると、クラッシュがスカやレゲエを取り入れるようになったのも、トーキング・ヘッズがアフリカ音楽に傾倒していったのも、よくわかる。音楽はインプロヴィゼーションや歌詞を中心とするものではなく、ビートを中心にまわっていなければならない、という気持ちが支配していたのだ。
だとするなら、それが文学のミニマリズムと同じ時期に起こったのもよくわかる。ミニマリズムも大きな物語を否定し、ひたすらいまここにいる「個」にこだわる小説であり、一貫して三人称現在形というスタイルを用い、心情の表現をひたすら排して、ミニマルな表現から行間に横たわる深い絶望を読み取らせる感覚的な文体を特徴としていた。80年代とはそういう時代であり、それは小説でも音楽でも同じ手法で表現されていたのだ。それがあのころの時代感覚だったのだ。
そしていま、同じ気分がいまの時代に流れているような気がする。だが、それについてはまた書くことにしたい。ただ、音楽はやはり生を聞かなくてはならいのだ、といまあらためて強く思っている。

2015年1月28日

1月のラジオ

 いつもアメリカのラジオを聴いているので、おもしろいニュース、気になる話をご紹介できたらと思っていました。そこでふだんぼくが聴いているKPFAの1月初旬の番組からピックアップした話題を中心にアメリカの社会と文化がわかる楽しい情報をお伝えしようと思います。
 まず、はじめはハービー・ハンコックのインタビューから。ジャズとフュージョンの巨匠ですが、最大のヒット曲は1962年の〈ウォーターメロン・マン〉。その誕生にまつわる逸話はすでにあちこちで語られていると思うのですが、今回はいいわけがましい話をしています。というのも、昨年の全米図書賞授賞式でレモニー・スニケットことダニエル・ハンドラーがスピーチで不用意にふれたスイカにまつわるジョークに、若年層向け小説部門受賞者の黒人作家、ジャクリーン・ウッドスンが怒ったという出来事が大きな話題になったばかりだったからです。不勉強にして、ぼくもあまりよく知らなかったのですが、黒人はスイカが大好きで、スイカさえ食べていれば満足。暑い日の昼下がりには黒人たちはみんなスイカを食べてさぼっている。というようなイメージを誰もがもっていて、黒人とスイカはきっても切り離せない、黒人の愚かさと脳天気さを象徴しているというのです。ウッドスンはこのせいでからかわれたのがきっかけで、スイカ・アレルギーになり、スイカを食べられなくなったといいます。スイカはのんきな夏の風物詩などではなかったのです。ハンコックのインタビューでおもしろいのは、彼が住んでいたのはそんなイメージが残る南部ではなくシカゴで、お爺ちゃんがスイカ好きで、すでに公民権運動が盛りあがっていたせいで、黒人のステレオタイプ的イメージはもう払拭されようとしていて、などと、ステレオタイプとしての黒人のスイカ好きをモチーフにしたことを弁解していることです。先の事件を意識していることは間違いないのですが、たぶんじっさいにステレオタイプを利用してヒットさせようとしたのも(そして成功したのも)事実だと思われます。
 アメリカの文化人を見ていていやになるのが、妙なPCの意識と善悪の色分けをする傾向にあることです。先の授賞式事件はじっさいに受賞した作家をステレオタイプのイメージで判断してジョークにした不見識と相手を傷つけたことが問題になるのであって、ステレオタイプ自体が問題ではないように思います。ハンコックの場合はファンが支持したからヒットしたので、これもそれ自体は問題にならないと思うのです。ステレオタイプすべてが悪いということなら、人間を論じることなどできなくなります。ましてステレオタイプから逸脱することの楽しさを描くことも意味がなくなります。ただ、ハンコックの場合純粋なモダンジャズからフュージョンに転向した黒人純粋主義ではないことへの批判が脳裏に残っているのでしょうね。人種をめぐる発言には黒人であるからこそ敏感なのかもしれません。
 お気に入りの番組〈ブックウェーヴズ〉のゲストはクレスト・ブックスで邦訳紹介されているチャンネ・リー。去年刊行された最新作がディストピア小説だったので、そこを突っこまれています。リーはブラッドベリなどを読んでいたことは認めながらも、SF的設定を意識したわけではなく、新作では別のパースペクティヴで世界を描きたかったのだと述べています。このパースペクティヴというのは、ちょっといまぼくが意識しているテーマ。西洋の遠近法は基本的にズームイン、ズームアウトするだけで、視点は一定の直線延長上にしかないのにたいして、東洋の遠近法は複数の視点を導入しているので、発想が大きく異なっています。ここでもリーは韓国系アメリカ人でありながら、西欧的なパースペクティヴという言葉で、未来を異世界として描くのではなく、人間を見る同じ視線を固定したまま、背景をズームアウトすることによって、よりリアルに浮きあがらせようとしてみたということをいっているのだと思います。対象を見定めようとするのにふつう使われるのは三角測量で、異なる視点から同じものを見るというやり方ですが、こちらは文学の手法とは違ってSF的な感じがします。つまり、人間を描くのに異星人や機械知性の視点を使って見定めようというやり方ですね。作者がアメリカで教育を受けているからなのか、文学の人だからなのか、たぶん設定はSFでもSFの雰囲気がないと読者からいわれているのは、そういうことなのだろうと思います。残念ながらぼくはあまり食指が動かなかったので、読んではいません。ただ、ちょっと興味がわいてきました。
 音楽では最近自伝を出版したカルロス・サンタナがインタビューに応じています。ラテン・ロックの草分け的なギタリストで、ウッドストックでの演奏がとくに印象に残る人ですが、ここでは意外にも、ラテン・ミュージックはおじさんが大好きだったのでいやというほど聴かされていたため、もともと大嫌いでだったこと、そしてほんとうはライトニング・ホプキンスなどブルーズに夢中だった少年時代の話をしています。そう、ステレオタイプといえば、ぼくたちはついついサンタナはヒスパニックだからエスニック文化の影響を強く受けていると思いがちだけれど、彼にとっては人種より世代のほうが大きな影響力をもっていたのですね。フリートウッド・マックのコピー曲で初期の大ヒット、〈ブラック・マジック・ウーマン〉を取りあげたのは、ラテン・ロックにアレンジしやすかったからではなく、ほんとうにそのての同世代の白人ブルーズ・ロックに夢中だったからだということがよくわかります。今回はステレオタイプというか、固定した見方で判断することのあやうさを実感する話をつづけて聴いてきた気がします。
 しばらく、こうしたラジオからの情報をお伝えするブログも載せていこうかと思います。ご意見、ご感想をいただければ幸いです。

コミュニティ・ラジオ

 子供のときからラジオが大好きだった。まだインターネットのなかった時代、ラジオは世界をのぞかせてくれる窓だった。50年代の甘ったるいアメリカン・ポップスも、ビートルズも、60年代のヒッピー文化も、みんなラジオをとおして毎日のようにふれてきた。アポロもケネディもキング牧師もヴェトナム戦争も、みんなラジオのなかで生きていた。いまではVOAと呼ばれている米軍極東放送のFENにいつもダイヤルを合わせていた。ティモシー・リアリー、バックミンスター・フラー、アイザック・アジモフ、みんなラジオ番組のゲストだった。
 ちょうどラジオが中波からFMへと移行しはじめて、商業主義的なネットワーク放送から独立的な方向に切り替わろうとしていた時期だった。サンフランシスコのラジオ局KSANのトム・ドナヒューのようなDJが現れて、ロックを中心とした文化を放送で積極的に応援していた時期だ。日本でも知られるケーシー・ケイサムやウルフマン・ジャックのようなコマーシャリズムとしての音楽に追随するエンターテインメントとしての古い形のDJではなく、新しい音楽とそれを産む背景としての若者の生き方を伝えようとするDJによる番組が現れてきたのだ。
 商業主義的な地元資本の経営陣から嫌われたそうしたDJが次々に解雇されて、独立した放送局をはじめたり、あるいはそうした資本が放送局を手放した結果、寄付金による非営利的公共放送局が増えるようになった。これら独立系の放送局は、いわゆるパブリック・ラジオとは区別して、コミュニティ・ラジオと呼ばれる。もともと新聞ですら80年代に〈USAトゥデイ〉が登場するまで全国紙が存在せず、州ごとに法律も税方式もことなる地方主権のアメリカなので、地域の意識はきわめて高い。日本ではタウン誌などと呼ばれる地域情報紙もアメリカではマスメディアに対抗するオルタナティヴなアンダーグラウンド新聞としての性格が強い。何しろ、ふつうの新聞が地方紙なので、そこに地域密着性を強調すれば、地域での新しい、あるいは特異な動きを伝えるという方向しかあり得ないからだ。だから、ラジオはつねに新しい考え方、新しい文化を、それを伝えたいという人の気持ちを介して伝えてくれていた。テレビなどの映像や、文字とは異なる、人間を介する手触りのぬくもりのおかげで、すべては情報ではなくコミュニケーションなのだと教えてもくれた。インターネットのおかげで恣意的にいくらでも得られる〝情報〟とは違って、バイアスがあることをきちんと表明しているラジオは、それゆえに一方的に情報を受け入れることなく、聴き手に考えることを求めている。だからこそ、役に立つことも多い。何より、時代の気分を的確に反映しているのだ。
インターネットが気軽に利用できるようになって、何よりありがたいと思ったのが、アメリカのそうしたコミュニティ・ラジオを聴くことができるようになったことだ。
 ぼくのお気に入りのラジオ局はサンフランシスコ湾東岸の大学都市バークリーにあるKPFAだ。これは聴取者の寄付からだけで運営される教育以外の目的で開設されたコミュニティ・ラジオとしてはもっとも古い歴史をもつ放送局で、1949年開設、ギンズバーグの『吠える』の初朗読を放送したのもここだ。音楽番組も楽しいけれど、文化都市ならではのインタビュー番組がおもしろく、オールドSFファンにはなつかしいリチャード・A・ルポフが司会だったこともある作家インタビュー番組〈ブックウェーヴズ〉にはいまだにルポフが企画しているおかげで、SF作家が多く出演している。
そんなKPFAと同じ放送局グループに属するのがニューヨークのWBAIだ。こちらも1941年開設の商業放送局からパブリック・ラジオとして1955年に再スタートしたもので、やはりSFファンにとってはジム・フロインドが司会する作家インタビュー番組〈アワー・オヴ・ザ・ウルフ〉が興味深いだろう。こっちはSF大会乗りのトークなので、インタビューという感じはあまりしないのだが、その分、若手が多数登場する。しかもSFとファンタシイ専門なので、〈ブックウェーヴズ〉とはずいぶん趣が違う。ぼくはたまにしか聴かないのだけれど、ファンにはうれしい番組なのだろうと思う。そのWBAIでもっとも有名な番組の一つが〈ラジオ・アンネーマブル〉というボブ・ファス司会の音楽番組だ。アーロ・ガスリーの〈アリスのレストラン〉を最初に流したことでも有名な番組だ。その歴史を描いた2012年のドキュメンタリーRadio Unnameableを見たので、若干、感想を述べたい。
 ドキュメンタリーはWBAIの歴史から、ボブがいかにして深夜枠の新しいスタイルの番組を作りあげていったか、60年代のヒッピー、イッピー文化とのかかわりと、番組をつうじて市民生活や、聴取者の人生にいかにかかわってきたか、さらには労働組合結成をめぐるトラブルと解雇、再雇用後の迷走、膨大な放送テープのアーカイブ化をめぐる若者たちとの交流など、これまでのボブのDJ人生をさまざまなインタビューと当時の映像をまじえて描くものだ。電話予告してきた睡眠薬自殺未遂者を8時間呼びかけつづけて救った有名なエピソードも描かれているし、ゴミ収集業者のストのときに聴取者に呼びかけて街を清掃した話など、生き生きと彼の人生が浮かびあがってくる。ただ、すぐれた音楽を選んで放送するだけではない、人々の日々の営みに結びついた放送という文化が見えてくるのだ。アメリカがすばらしいと思うのはこういうところだ。すべてが形而上学的な、頭でっかちな作品中心の文化として存在するのではなく、作品を作る人、伝える人、愛する人、それぞれの人生をもって生きている人々のなかにはぐくまれて、はじめて生きて変化をもたらす文化となっているのだ。
 ぼくたちが翻訳を文化として存在させていくためには、個々の作品を紹介するだけではなく、それらを産み、はぐくませてきた人々の生活を伝えていくことも欠かせないのだと思う。それに気づかせてくれるラジオは、やはり世界に向かって開かれた窓だ。

2015年1月2日

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。
諸事情があって、積み残しもたくさんあり、活動が停滞気味でしたが、今年はもっと楽しく読み応えのあるものを、あまり期間を空けずにアップしていこうと思います。ごひいきのほど、よろしくお願いします。
小特集形式も用いますが、あまり特集にはこだわらずに、また小説以外のものもいろいろお届けしてみようと思います。翻訳文化の将来を考えてさまざまなことにチャレンジしていくつもりですので、長い目で見守っていたけるとありがたいと思います。
かんたんですが、年頭の決意表明です。今後とも26to50の活動にご注目、ご支援をたまわりたいと思います。よろしくお願いします。
小川隆