2014年7月31日

ノーダンの短篇

追悼特集を完成できないままですが、契約によりいまごらんいただいているノーダンの短篇2本は8月いっぱいで公開できなくなります。時間があるときにまた読みにこようと思っていた方はいまのうちにコピーしておくか、読んでしまってください。
なかなか出版の話に結びつかないのが残念ですが、お楽しみいただける作品だと思います。よろしくお願いします。
小川

2014年7月14日

インサイド・ルーウィン・デイヴィス

 今年になってずっと、フォークソングのことを考えている。きっかけはさまざまだ。家庭の事情もあり、前にもましてラジオをよく聞いているのだが、ロックや書評の番組だけでなく、カントリーやジャズの番組も聞くようになって、いきがかり上、昔からなじみのあるフォークの番組も聞きだしたこともひとつだ。おかげでピート・シーガーの追悼やボブ・ディランの70歳誕生日特集を聞いていろいろ考えることもあった。また、昨年久しぶりに発表されたグレッグ・キーンのビートルズ小説Rubber Soulでイギリスのビート・シーンと対比されるように描かれていたアメリカの60年代前半のフォーク・シーンを懐かしく思い出したこともある。昨年末にザ・バーズのボックスを買ったのも、いわゆるロックの誕生がブルーズやロックンロールだけを原型としているのではなく、フォークロックの誕生とリンクしていることを痛感しはじめていたことが原因だったし、ロックのルーツがフォークソングだったことを確認したい気持ちも強かった。だが、決定的だったのは久しぶりにアクースティックのホット・ツナの演奏を観たことだった。フォーク・ブルーズにもロックにも分類されるツナだけれど、まぎれもなく、あれは60年代半ばのフォークソングだった。そして、なぜピート・シーガーをはじめとするフーテナニー的、原型的なフォークソングがいかにつまらなく聞こえたのかもわかったような気がした。それを確かめたくて、評判のコーエン兄弟の映画『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』を観にいった。
 時代背景が重なるせいか、映画はかつてのアメリカン・ニュー・シネマを痛いほど思い出させてくれた。じつは一連のああした映画はぼくには当時からひどく居心地の悪いものだった。60年代後半の作品ながら、どれも世界観がその直前の50年代末から60年代初頭のビート的世界観にしか見えなかったからだ。ビートはもう忘れ去られようとしているのかもしれないが、禅をはじめとする東洋神秘思想への傾倒や、インディアン回帰、ジャズと詩とドラッグ志向で知られる、反近代、反アメリカ帝国主義の新しいボヘミアン的生き方とその文化をさす。当時のアメリカが内包していた矛盾への忌避感を、アメリカとは違うものに過剰に投影してみせる、素朴な反米主義でしかなく、そっくりアメリカ的なものをかかえていただけに、新しさはまったく感じなかったのを覚えている。もっとも、それはぼくより少し先行する世代のムーヴメントだったから、単純にぼくの側の世代的反感に根ざしているのかもしれない、といまでは思う。いまだにインディ書店の聖地のように思われているノースビーチのシティ・ライツ書店(ビート詩人のローレンス・ファリンゲッティが経営)も、ぼくにはひどくスノッブな、アメリカ的知性の権化のように感じられて、外国文学の英訳をあれだけ所蔵していなければ、まず足を運びたいとは思わない店だ。ああ、SFをディックをはじめとする〝文学的なもの〟と、そうでないものとに区別して、良質なものしか売らないという選別思想もファンとしてはひどく腹立たしいものに思えるからでもある。いや、脱線してしまった。
 60年代初頭のグリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンを描いた映画だ。すでにフーテナニー的なものではなく、ボブ・ディランのような、当時は吟遊詩人と呼ばれたボヘミアン的フォーク・シンガーの台頭が時代背景だ。モデルになっているのは、デイヴ・ヴァン=ロンクという当時ヴィレッジで活躍しはじめていた実在のフォーク・シンガーだ。ともにレコードまで出したデュオのパートナーを自殺で失った主人公は、まわりで次々に新人が登場してくるなか、同じ持ち歌しか歌えず、売れないことを痛感して日々を送っている。住む家とてなく、友人のアパートを転々としているが、フォーク仲間の彼女から妊娠を打ち明けられ、どっちの子供かわからないといわれる。中絶費用を捻出するため、奔走しても、しょせん労働とは無縁のボヘミアン的生活を送ってきたので、あてはどこにもない。しかも、彼の才能を買ってくれて親切にしてくれる大学教授の家で失態を演じ、決定的に行き場を失ってしまう……という物語だ。当時を知らない観客には自分探しの物語に見えるかもしれない。
 だが、どうしようもなく自己中心的なキャラだ。やり場のない自分の悩みや感情を他人にぶつけるだけで、誰からも理解してもらえないことを嘆きながら、それを創作に向けることもしない(表現という意味では同じ曲の歌い方の変遷で描いているのだが、これについては別の機会に書くことにする)。ぼくたちの世代の言葉でいえば、典型的なエゴ・トリップだ。前に自分の子供を身ごもった相手が中絶手術をしなかったことも知らず、子供がいるかもしれないとわかっても何もしないし、かといって目の前で中絶費用を求める相手を無視することもできない、中途半端な責任感しかもっていない。『卒業』や『俺たちに明日はない』、『イージーライダー』の主人公たちとも共通する、自分の生き方、自分の感情だけにおぼれて破滅への道を進んでしまう、痛い青春の姿を描いているといっていい。キューバ危機やケネディ政権下での公民権運動の盛り上がりが遠景に置かれているのに、そうしたことも主人公の視野には入っていない。まわりではそうした政治批判のフォークがもてはやされているなか、主人公はトラッドをアレンジしたデュオ時代の持ち歌にこだわりつづける。フォーク仲間といいながら、音楽的な交流は仕事の上でしかない。だから、この世代のボヘミアン的生き方を肯定的に描いた映画ではないのだ。
 それでも、当時のシーンを知っているものにも訴えかけるリアリティはある。それこそ、まさに冒頭で述べたアメリカン・ニュー・シネマに共通する当時の社会背景のなかでの新しい生き方の模索なのだ。ぼくがあれらの映画を観たのは、すでにオルタナティヴな新しい生き方がさまざまに実験され、実践されていたあとだったために、一連の自分の感情と能力をもてあましている若者の姿が自己中心的に見えたのだが、60年代前半、ボブ・ディラン以前、ビートルズ以前の時代においてみれば、事情はよくわかる。意外に思えるかもしれないが、それは個人主義への脱皮の苦しみだったのだ。
 どの社会を見ても、個人主義と集団への帰属の問題は繰り返し対立を生んでいる。アメリカは個人主義の国のようにいわれているが、伝統的に家父長権が強い大家族制の国でもあった。もともとが難民社会であり、開拓民の社会である以上、移民同士、あるいは家族が結束することが求められていた。と同時に、一攫千金を夢見る山師の社会でもあり、カウボーイのように、単独行動を必要とされる生き方もつづけてきた国だ。その両者のせめぎ合いのなかで、社会として主流にあったのが、大家族制のほうであり、一匹狼の個人主義はシンボライズされた神話的な存在だった。だが、一変するのは第二次世界大戦からだ。個人主義が根付いたヨーロッパに送られた若者は解放者として歓迎され、徹底した個人主義の洗礼を受ける(この個人主義の流れに対抗した集団主義を主張したのが、社会主義であり、共産主義であり、ナチスの国家社会主義だった)。一方、働き手の男がいなくなったアメリカ国内では、労働力をになうことになった女性が家庭から解放され、経済的自立をはたし、個人主義に目覚めはじめる。戦後、この両者が作る家庭は核家族となり、さらに親は家族に奉仕するのではなく、それぞれの余暇をエンジョイしはじめる。子育てはベビーシッターにまかされ、さらにマイ・カーを手に入れて行動の自由は広がり、家事労働も家電製品の進出によって徹底して切りつめられる。家庭のなかとは違う時間を勝手に楽しみはじめた親を見て育った子供たちが自分たちの自由を手に入れたのが、この60年代前半だった。モデルとすべき家族も社会も大きく変化する過程にあって、モデルにはならず、誰もが時代に即した新しい生き方を模索しなければならなかった。テレビの普及によって、コマーシャリズムが人々を洗脳しはじめ、購買動機として肥大する欲望をあおりたてたのも、彼らをますます個人主義にかりたてた。さらに、赤狩りの試練を経た左翼リベラル知識人がそうした若者の文化活動に寛容なポーズをとりつづけたのも拍車をかける。ギター一本で安易に自分を主張できるフォークソングは、まさにそうした時代にはぴったりのものだった。
 この映画がそうした時代を直接経験したアメリカでより、カンヌ映画祭でグランプリを受賞したことでもわかるように、ヨーロッパで支持されたのもよくわかる。個人主義への脱皮の苦しみというのは、個人主義が定着したヨーロッパでこそよくわかるものだからだ。
 そして若者の音楽となったフォークソングが、ビートルズの出現をきっかけにロックへと発展していくのが必然だったこともよくわかる。バンドを核とするロックは、新しい集団、社会のモデルとなっていくのだ。このところずっと気になっていたフォークソングへの関心に、新たなパースペクティヴを与えてくれる、刺激的な映画だったことは間違いない。アメリカ嫌いの人にはお薦めしないが、時代を考えることに興味がある人には、これまで看過されがちだった60年代前半という時代をみごとに切り取った映画として、多くを考えさせてくれる映画だろう。
 参考までに繰り返される曲はデイヴ・ヴァン=ロンクのヴァージョンのみならず、ボブ・ディラン、フレッド・ニール、最近(といっていいか)ではジェフ・バックリーのヴァージョンでも知られる、一般にはDink’s Song (Fred’s Tune/ Fare Thee Wellなどの異称も)として定着している曲だ。もともとはイギリスのバラッドであり、聖歌であったもので、フォークソングとはそうして民衆のあいだで歌い継がれてきた歌を採集し、録音するところからはじまり、レコードやラジオの普及によって、50年代末から爆発的に人気を獲得していった。SF人間としては、やはりこうしたところにもテクノロジーが大きな役割を果たしていたことに目がいってしまうのだが。ちなみに、同じ曲でさまざまなヴァージョンがあるのは、著作権がないせいではなく、レコード会社が著作権を占有したいがために、トラディショナルな曲に恣意的に違うタイトルをつけたにすぎない。民衆の音楽であるフォークソングも、資本主義の洗礼を受けていたのである。