2015年11月26日

ミニマリズム

 クリッシー・ハインドの自伝が出たと聞いて、思い出したことがある。彼女が率いているバンド、プリテンダーズのことだ。女性のいるバンドにはなぜか惹かれることが多く、当然ながら、プリテンダーズも大好きなバンドだった。でも、1982年の来日公演を見て、レコードとは違う大きな衝撃を受けた。
 それまでのロック・コンサートは感覚や精神を広げて解き放つ体験をしにいくものだった。サイケデリックが出てきたのも、プログレが出てきたのも、やたら楽器のインプロヴィゼーションが長かったのも、もっと遠くに想像力を運ばせたいという気持ちが聴き手にあったからだし、ミュージシャンも同じ気持ちだった。でも、プリテンダーズは違った。耳に心地よいサウンドではあるのだけれど、快感を解放して新しい世界をのぞかせてくれるというよりは、ひたすら聴き手をステージに釘付けにしていく求心力のあるサウンドだったのだ。何か似た経験があると思って、連想したのがボブ・マーリーのライヴで、やはり圧倒的なステージへの求心力をもった演奏だった。それはボブが持っていたカリスマのせいだと思ったし、そう思ってみると、このバンドはやはりクリッシーのバンドで、彼女の個人的な魅力が聴き手をも引っ張っていくのだろうと考えて、妙に納得したものだ。
それまでのバンドは、ビートルズのようにメンバー全員を平等に前に押し出して、メンバーの集合体として存在するものか、バンマスがいたり、ヴォーカルやギターのフロントマンがいて、中心メンバーとバックミュージシャンという分業制のミニ会社のようなものか、ドアーズやデッドのようにめざすところは違ってもバンドとしてのアイデンティティを築こうとするコミューナルなものだった。ジョン・ヴァーリイのSFにも見られるように、ぼくたちの世代の関心事はぼくたち人間にとってどのような集団を形作るのが幸せかということだった。だから、リーダーというより、魅力あふれる中心人物を核にすえてみんなが力を合わせていくやり方というのは思いもよらなかったもので、斬新に思えた。
じつはこれに似た体験をまったく違うところでしたことがある。ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』を読んでいたときだ。翻訳ではわからないだろうが、途中で文体がジェイン・アン・フィリップスの強い影響下にあるのはわかったものの、ぐいぐいと引きこまれていく感じが「記憶屋ジョニー」などそれまでの短篇を読んでいたときとは違ったものだった。小説に引きこまれるのはふつうのことだと思われるかもしれないが、独特の求心力のある書き方だったのだ。もちろん、最初はやはりボブ・マーリーを連想した。宇宙ステーションをラスタファリアンが牛耳っている世界だというので、当然な連想だが、どうも違う気がした。そしてはっと気づいたのだ。プリテンダーズだ! すごくうれしくなって、ギブスンに会ったときに早速話してみた。すると、やはりモリーのモデルはクリッシーだというではないか。これはたしかにケイシーの視点で語られる話だけれど、本当の中心はヒロインのモリーにあったから、すごくよくわかった。当時のインタビューではギブスンはモリーのモデルは映画《エイリアン》のシガニー・ウィーヴァーだと語ることが多かったが、最近ではクリッシーだといっている。あのころは《エイリアン3》の脚本の話もあったりして、映画界にリップサービスをする必要があったのだろう。作家なんて現金なものだ。いまなら本音を語れるというのか。ともかく、ぼくの小説の読みがきちんと作家と同じ文化の枠にあることがわかってうれしかったのを覚えている。
だが、実際にはあの読書体験はモリーの物語としての求心力ではなかったような気がする。読書中に共感覚が呼び覚まされるとしたら、それはキャラの問題ではないはず。むしろ、文体とかリズムとか、そういったもののはずだった。それが長年頭の片隅にひっかかってなかなか氷解しない謎だった。
ところが、最近になってそれが解けた気がする。あれはギブスンの文章がもっているビートだったのだ。ビートというのは言葉で説明するのはむずかしい。リズムでもなく、テンポでもなく、しいていえばノリのようなものだ。イギリスのロックにあってアメリカのロックに希薄なものがこのビートで、ともすればアメリカのロックはロックンロールや古いダンス・ミュージックに回帰してしまいがちだ。あるいは切れ味といってもいいかもしれない。ギブスンの文章に特徴的なのは、当時の先鋭的なミニマリズムの作家と同じ、エッジの効いた文体だったのだ。
わかってみると、プリテンダーズの求心力もクリッシーへの求心力ではなく、ビートに純化されていく感覚だったように思う。パンクからニューウェーヴへという流れで一貫して模索されていたのが、ビートがすべて、という思いだったように思う。それまでのサイケデリックやジャム・バンド、プログレやジャズロックが模索していたような、さまざまな楽器が紡ぎ出す音の広がりや時空的拡張を嫌い、ひたすらいま、ここにこだわり、ミュージシャンも聴衆もビートと一体化した存在となることをめざしていたのが、あのころの音楽だったように思えるのだ。そう考えると、クラッシュがスカやレゲエを取り入れるようになったのも、トーキング・ヘッズがアフリカ音楽に傾倒していったのも、よくわかる。音楽はインプロヴィゼーションや歌詞を中心とするものではなく、ビートを中心にまわっていなければならない、という気持ちが支配していたのだ。
だとするなら、それが文学のミニマリズムと同じ時期に起こったのもよくわかる。ミニマリズムも大きな物語を否定し、ひたすらいまここにいる「個」にこだわる小説であり、一貫して三人称現在形というスタイルを用い、心情の表現をひたすら排して、ミニマルな表現から行間に横たわる深い絶望を読み取らせる感覚的な文体を特徴としていた。80年代とはそういう時代であり、それは小説でも音楽でも同じ手法で表現されていたのだ。それがあのころの時代感覚だったのだ。
そしていま、同じ気分がいまの時代に流れているような気がする。だが、それについてはまた書くことにしたい。ただ、音楽はやはり生を聞かなくてはならいのだ、といまあらためて強く思っている。