2009年9月6日

ブライアン・ジョーンズ

数日前、ブライアン・ジョーンズの死の謎の再調査がおこなわれているという記事を見た。それで思い出したのが、去年アメリカで出版されたザカリー・ラザーという作家のSwayという小説だ。バンド仲間とも恋人のアニタともうまくいかなくなっているブライアンと、新作映画をストーンズを使って撮ろうと考え、なかなかうまくいかずにいる監督のケネス・アンガーと、アンガーの映画に出ることになっていたものの薬におぼれ、やがてチャーリー・マンスンの仲間になって大事件を起こすようになる俳優の3人を主人公に、何もかもが暗闇のなかに向かって落ちていく感じだった60年代の悲劇を描いた作品で、アメリカでは割と評判になったものだ。
でも、ここでぼくが考えさせられたのは、ブライアンのような役割のこと。かつて、バンドには創造性を担当する作曲家(ストーンズの場合はキース)、PR担当でありバンドの顔であるシンガー(同じくミック)のほかに、ジャズやブルーズの伝統をひきずって、バンドをまとめちょっとした味付けを加えてじょうずにバンドをプレゼンテーションするリーダー(バンドマスター)がいた。この最後の役がブライアンで、たとえば「黒く塗れ」でシタールを導入したり、それ自体では当時のほかのバンドと大差ないリチャーズ&ジャガーの曲をじょうずにユニークなサウンドにしあげていた。ビートルズの後期以後、演奏よりレコードを重視するバンドが(レコード産業の要請により)増えたため、その役割はプロデューサーに取って代わられるようになったのだけれど、グループにアイデンティティを与えるこうした役割の人間って重要なのではないだろうか。この小説でも、創造性(映画監督)、チームリーダー(ブライアン)、人気となる顔(俳優)というそれぞれの側面から時代が語られるのだけれど、ブライアンの部分はとりわけ悲しかった。死の真相が究明されたら、こんな小説も翻訳出版できるようになるだろうか。

1 件のコメント:

  1. あ、リンクを貼り間違えていました。訂正しました。石原さん、ご指摘ありがとう。ちなみに、タイトルはストーンズのヒット曲から取っていると同時に、何かに操られるようにうまくいかずに揺れ動く主人公たちの生き方を表しているように思います。

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