2013年3月30日

訃報、ポール・ウィリアムズ

ポール・ウィリアムズが死んだ。まだ64歳、同じポールのつながりでいえば、マッカートニーなら歌を歌ってあげなければいけない歳なのに。 ぼくの仕事でいえば、かつてペヨトル工房から出させていただいた『フィリップ・K・ディックの世界』を訳したこともある。ワールドコンでも何度か会ったことがあるし、来日したときにはちょうど『グリンプス』を出したときだったこともあって、音楽評論家のパーティにお呼ばれしたこともある。三歳年上で姉と同い年だから、ぼくにとっては微妙な年齢差だったけれど、ロックもSFも好きということで、同じ仲間にくくられることがうれしかった人の一人だ。ちょっと悲しくて、説明ができない。こういう人だ。
http://www.pastemagazine.com/blogs/crawdaddy/2011/08/when-bad-things-happen-to-great-writers.html
あるときからメールが返ってこなくなったけれど、たぶんそれは事故のせいなのだろう。頭を打って大手術をして元気になったポール・カントナー(同じポールつながりだけれど)の例もあるけれど、回復はできなかったようで、一昨年からは寝たきりになっていたようだ。彼が始めた世界初のロック評論誌Crawdaddyもビル・グレアムの仲間がやっているWolfgang’s Vaultでずっと読むことができたし(去年、サイトのリニューアルでメニューから消えたけれど、まだあるはずだ)、新生版も作られていたのだけれど、それもしばらく前から出なくなっていた。ちょっとバディ・ノーダンのことを思い出してしまう。
http://www.rollingstone.com/music/news/paul-williams-rock-criticism-pioneer-dead-at-64-20130328
95年の自転車での事故から自分では何も書けなくなっていたというけれど、クローダディで何度も原稿は読んだ記憶があるので、口述筆記をしていたのかもしれない。それもできなくなって、それでもロックは聴いていたのだろうか? 本は読めていたのだろうか?
このところ、死のことをよく考える。自分が死ぬことではなく、生きている人間が死をどう受け止めればいいかということだ。結論なんてありはしない。でも、たいせつな人の死を知ると、なぜか人恋しくて集まりたくなる。葬儀というのはそういうことなのだろう。でも、いまどこにいけばいいのかわからない。ロックの人とSFの人とは日本ではうまく入りまじれないできたからだ。
そんな違和感を感じなくていいように、ここでも音楽小説の特集をしてみようと話しているところだったのに。
ポールとは年齢差の微妙さと同じように、音楽でも小説でも好みは微妙に違った。サンフランシスコのワールドコンで会ったときには、ロミオ・ヴォイドの再結成コンサートに誘ったら、その日はニール・ヤングのコンサートにいくんだといわれた。ニールなんていつだって聴けるだろうに、と思ったのだけれど、でもほんとうに好きなのは昔のミュージシャンなのだなと思ったりもした。
ああ、何もまともなことが考えられない。でも、きっとポールへの思いを何かしら共有したいと思って、集まれる場所を見いだせないぼくみたいな人がいるはずだ。そう思って、ともかく書かずにはいられなかった。まだひたすら悲しいだけだけれど。

1 件のコメント:

  1. 訃報を知り、とても残念に思っています。
    ポール・ウィリアムズがシオドア・スタージョンとの出会いについて書いた文章があり、個人的にそれを訳していて、いつか公開の許可がもらえたらと思っていたのですが、かなわぬ夢になってしまいました。
    (その文章でもSFをロックになぞらえて語っていたのが思い出されます)

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