26to50の主宰者である小川隆氏は、2019年6月に永眠されました。翻訳家であり海外小説の紹介者である氏のご活躍の一部を引き続きみなさまと共有したく、26to50のおもな活動の場であったウェブサイトをhttps://www.26to50.comからhttps://26to50.wixsite.com/jpsite/に移転して継続公開することにいたしました。小川隆氏がのこしてくれたもの、その思いが、読者のみなさまに届くことを願っております。
26to50
2021年12月20日
2016年12月25日
アンバー・スパークス「宇宙の清掃員」
作者から日本の読者へのメッセージ動画も届いておりますので、ぜひご覧ください。>>作品ページ
The Unfinished World: And Other Stories |
2016年12月15日
メガン・マキャロン
短篇「魔法使いの家」の翻訳をとても喜んでくれました。ただいま長篇を執筆中ということで、こちらも楽しみです!
2016年8月27日
ポスト・ケリー・リンク
2016年2月26日
デヴィッド・ボウイ追悼作品
なお近況でもふれましたが、東京神田神保町の喫茶店で隔月で〈翻訳を愉しむ会〉という集まりを主催しています。近況では名前を間違えてしまいましたが、3月に取りあげるのはアンバー・スパークスです。ご興味のある方はお問い合わせの上、ご参加ください。英文テキストを事前に配布します。
小川
2016年2月8日
ダン・ヒックス
60年代からサンフランシスコの音楽シーンを作っていたダン・ヒックスが6日に亡くなった。肝癌だった。
1965年、最初のヒッピー・バンドといわれるシャーラタンズに二人目のドラマーとして参加したあと、67年にはデイヴィッド・ラフレームといっしょにダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックスを結成した。もっとも、デイヴィッドはすぐにまた辞めて、自分のバンド、イッツ・ア・ビューティフル・デイを結成しているから、このころのサンフランシスコのバンドの人の流れはおもしろい。自身、フォーク・ジャズと呼ぶ、いまならアメリカーナに分類されるような、ロックとはちょっと違うテイストの音楽をやってきたのだけれど、そもそもシャーラタンズがそんなバンドだったし、似たようなことをやっている人たちはたくさんいた。仲間とバンドをやるのが楽しかったので、音楽の種類などみんな気にしていなかった。むしろ多様なことが好まれていたのだ。イギリスのバンドに影響されずに楽しく音楽をやろうと思えば、スタイルがいろいろになるのは自然なことだった。もっとも、当時のぼくはロック・キッズだったから、カントリーやフォークやジャズのトーンが濃いバンドはアルバムをせっせと買う余裕もなかったし、聴けば気持ちいいたぐいの音楽だと思っていただけだった。来日公演だっていっていない。最大のヒット曲はI Scare Myself(1969)、ホラーのラジオドラマのBGMにもよく使われた曲だ。ちょっとだけ映画にも出ているみたいだ(ジーン・ハックマン主演の『訴訟』)。
コマンダー・コディとかサル・ヴァレンティーノとかトレイシー・ネルスンとか、アルバムを買いまくったわけではないけれど、同じようにロック本流ではなかったあのころのサンフランシスコのミュージシャンは、それでもいつでも地元では聴くことができたし、突然ポップになってしまったスティーヴ・ミラーや、都会的なR&Bに変身してしまったボズ・スキャッグズのように驚かされることなく、ぶれずに持ち味の音をいつでも聴かせてくれる信頼できる存在だった。こういう人たちは細く長く、ずっと音楽を聴かせてくれると思いこんでいた。たしかにみんなもう年を取っているけれど、ぼくが若いころに聴いていたブルーズのミュージシャンなんて、当時からもう年寄りに思えていたものだ(ちなみにバディ・ガイなんて、今年80歳になるというのにいまだにばりばりの現役だ)。ダンが癌を患ったというニュースは目にした記憶があるけれど、まだまだがんばっていてほしかった。
訃報続きなので、ともかく悲しい。
2016年1月29日
モノ離れの時代へ
https://www.youtube.com/watch?v=mzhTA7rblWI
そこで思いだしたのがやはり好きなバンドのBlame Sallyだ。こういう文章になったバンド名をこのところよく見かけるようになったのだ。Drive by TruckersとかWake the Deadとか。
https://www.youtube.com/watch?v=k9g3WoCiKqE
もうピンときた人はいるかもしれない。これって日本のラノベのタイトルと同じではないだろうか。『○○の××』といった名詞にしない書名が増えているように思う。アメリカの本でもやはり名詞でない書名は多いけれど、これはいまにはじまったことではない。とはいえ、増加傾向であることもまたたしかだ。
おそらくきちんと定義できる静的なモノの時代から、ベクトルをもって気持ちのほうを問題とする動的な精神の時代(むかしヒッピーがアクエリアスの時代と呼んだこともあるけれど)に移行しようとする準備がはじまっているのではないだろうか。アイデンティティや帰属集団など問題ではなく、どんな気持ちでどこにつながっていくかがだいじだと考えるようになっているのだ。進化の次のステージだ。モノ作りへの郷愁はあるかもしれない。でも、時代が動いていることをこんなことにもひしひしと感じている。