2015年1月28日

コミュニティ・ラジオ

 子供のときからラジオが大好きだった。まだインターネットのなかった時代、ラジオは世界をのぞかせてくれる窓だった。50年代の甘ったるいアメリカン・ポップスも、ビートルズも、60年代のヒッピー文化も、みんなラジオをとおして毎日のようにふれてきた。アポロもケネディもキング牧師もヴェトナム戦争も、みんなラジオのなかで生きていた。いまではVOAと呼ばれている米軍極東放送のFENにいつもダイヤルを合わせていた。ティモシー・リアリー、バックミンスター・フラー、アイザック・アジモフ、みんなラジオ番組のゲストだった。
 ちょうどラジオが中波からFMへと移行しはじめて、商業主義的なネットワーク放送から独立的な方向に切り替わろうとしていた時期だった。サンフランシスコのラジオ局KSANのトム・ドナヒューのようなDJが現れて、ロックを中心とした文化を放送で積極的に応援していた時期だ。日本でも知られるケーシー・ケイサムやウルフマン・ジャックのようなコマーシャリズムとしての音楽に追随するエンターテインメントとしての古い形のDJではなく、新しい音楽とそれを産む背景としての若者の生き方を伝えようとするDJによる番組が現れてきたのだ。
 商業主義的な地元資本の経営陣から嫌われたそうしたDJが次々に解雇されて、独立した放送局をはじめたり、あるいはそうした資本が放送局を手放した結果、寄付金による非営利的公共放送局が増えるようになった。これら独立系の放送局は、いわゆるパブリック・ラジオとは区別して、コミュニティ・ラジオと呼ばれる。もともと新聞ですら80年代に〈USAトゥデイ〉が登場するまで全国紙が存在せず、州ごとに法律も税方式もことなる地方主権のアメリカなので、地域の意識はきわめて高い。日本ではタウン誌などと呼ばれる地域情報紙もアメリカではマスメディアに対抗するオルタナティヴなアンダーグラウンド新聞としての性格が強い。何しろ、ふつうの新聞が地方紙なので、そこに地域密着性を強調すれば、地域での新しい、あるいは特異な動きを伝えるという方向しかあり得ないからだ。だから、ラジオはつねに新しい考え方、新しい文化を、それを伝えたいという人の気持ちを介して伝えてくれていた。テレビなどの映像や、文字とは異なる、人間を介する手触りのぬくもりのおかげで、すべては情報ではなくコミュニケーションなのだと教えてもくれた。インターネットのおかげで恣意的にいくらでも得られる〝情報〟とは違って、バイアスがあることをきちんと表明しているラジオは、それゆえに一方的に情報を受け入れることなく、聴き手に考えることを求めている。だからこそ、役に立つことも多い。何より、時代の気分を的確に反映しているのだ。
インターネットが気軽に利用できるようになって、何よりありがたいと思ったのが、アメリカのそうしたコミュニティ・ラジオを聴くことができるようになったことだ。
 ぼくのお気に入りのラジオ局はサンフランシスコ湾東岸の大学都市バークリーにあるKPFAだ。これは聴取者の寄付からだけで運営される教育以外の目的で開設されたコミュニティ・ラジオとしてはもっとも古い歴史をもつ放送局で、1949年開設、ギンズバーグの『吠える』の初朗読を放送したのもここだ。音楽番組も楽しいけれど、文化都市ならではのインタビュー番組がおもしろく、オールドSFファンにはなつかしいリチャード・A・ルポフが司会だったこともある作家インタビュー番組〈ブックウェーヴズ〉にはいまだにルポフが企画しているおかげで、SF作家が多く出演している。
そんなKPFAと同じ放送局グループに属するのがニューヨークのWBAIだ。こちらも1941年開設の商業放送局からパブリック・ラジオとして1955年に再スタートしたもので、やはりSFファンにとってはジム・フロインドが司会する作家インタビュー番組〈アワー・オヴ・ザ・ウルフ〉が興味深いだろう。こっちはSF大会乗りのトークなので、インタビューという感じはあまりしないのだが、その分、若手が多数登場する。しかもSFとファンタシイ専門なので、〈ブックウェーヴズ〉とはずいぶん趣が違う。ぼくはたまにしか聴かないのだけれど、ファンにはうれしい番組なのだろうと思う。そのWBAIでもっとも有名な番組の一つが〈ラジオ・アンネーマブル〉というボブ・ファス司会の音楽番組だ。アーロ・ガスリーの〈アリスのレストラン〉を最初に流したことでも有名な番組だ。その歴史を描いた2012年のドキュメンタリーRadio Unnameableを見たので、若干、感想を述べたい。
 ドキュメンタリーはWBAIの歴史から、ボブがいかにして深夜枠の新しいスタイルの番組を作りあげていったか、60年代のヒッピー、イッピー文化とのかかわりと、番組をつうじて市民生活や、聴取者の人生にいかにかかわってきたか、さらには労働組合結成をめぐるトラブルと解雇、再雇用後の迷走、膨大な放送テープのアーカイブ化をめぐる若者たちとの交流など、これまでのボブのDJ人生をさまざまなインタビューと当時の映像をまじえて描くものだ。電話予告してきた睡眠薬自殺未遂者を8時間呼びかけつづけて救った有名なエピソードも描かれているし、ゴミ収集業者のストのときに聴取者に呼びかけて街を清掃した話など、生き生きと彼の人生が浮かびあがってくる。ただ、すぐれた音楽を選んで放送するだけではない、人々の日々の営みに結びついた放送という文化が見えてくるのだ。アメリカがすばらしいと思うのはこういうところだ。すべてが形而上学的な、頭でっかちな作品中心の文化として存在するのではなく、作品を作る人、伝える人、愛する人、それぞれの人生をもって生きている人々のなかにはぐくまれて、はじめて生きて変化をもたらす文化となっているのだ。
 ぼくたちが翻訳を文化として存在させていくためには、個々の作品を紹介するだけではなく、それらを産み、はぐくませてきた人々の生活を伝えていくことも欠かせないのだと思う。それに気づかせてくれるラジオは、やはり世界に向かって開かれた窓だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿