2014年9月26日

自費出版と作家の生きる道

いつものようにインターネットラジオを聴いていたら、エルヴィン・ビショップがゲストできていた。ポール・バタフィールド・ブルーズ・バンドのギタリストとして活躍し、自分のグループを作ってからは"Fooled Around and Fell In Love"の大ヒットを出した。この曲は最近映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のサントラにも使われている。そんな往年の名ギタリストが新譜を出したということで、このところ地元サンフランシスコ周辺のラジオ局にたびたび出演しているのだ。とはいえ、いまさら新譜の話でもないので、番組がブルーズの番組だったこともあって、ブルーズの話をえんえんとはじめたのだが、そこで彼が急におもしろいことをいいだした。ミュージシャンを経済的に支えようと思うなら、CDを買うよりライヴを観にいけというのだ。いまはミュージシャンにとって、ライヴがいちばん実入りがいいのだという。これはぼくが知っていたミュージシャンの経済モデルとはずいぶん違っている。むかしはライヴなんてせいぜい日銭しか稼げないものであり、お金になるのはレコード契約とレコード売り上げだったのだ。だからバンドは契約金がつりあがってくるまでレコード会社とすぐには契約しなかったし、気が進まなくても、シングル・ヒットしそうな曲もせっせと書いた。新譜が出ればレコードを売るために全国ツアーして、儲からないライヴを重ねてまで、レコード売り上げに躍起になったものだった。逆にファンのほうも、プロモーションのためだとわかっているし、アルバムは買うのだから、といって、ライヴは無料もしくは安価であることを求めた。ファンからの支持もあり、ライヴはいつも満員でも、レコード売り上げが伸びないからという理由で、音楽そのものをやめてしまったミュージシャンも大勢いた。でもいま、CDはほんとうに売れず、多くのミュージシャンがデジタル・ダウンロードに切り替えていくなかで、音楽がアートではなく、コンテンツに成り下がってしまったのだという。だからミュージシャンを愛し、支えてやろうという気があるなら、ライヴにいこう、というのが彼の主張だった。
 ここで思うのはやはり本のことだ。出版業界は5年遅れで音楽業界のたどった道を歩いているのだといわれる。たしかにいま本は売れず、電子書籍もそれに代わるほど売れているわけではない。出版社がノンフィクションはもちろん、小説までも、自社商品として、自社ブランドのコンテンツとしてしか見なくなったのは、80年代バブル期のM&Aによってほとんどの大手出版社が大企業グループに呑みこまれたときからつづいている話だ。おかげで新作を契約してもらえない作家が激増しているという。では、作家が生き残れる道、ミュージシャンにとってのライヴに相当するものはいったい何だろう?
 ここで興味深いのは最近の自主出版の隆盛だ。ベストセラーを記録する作家のなかには、大手出版社と契約しても自費出版を継続するものも多いし、そもそも既成出版社との契約を拒否するものまでいるという。これは自費出版では印税率が50~70%なのに、ふつうの紙の本では15%程度となっていて、出版社はその差に見合うほどの部数を売り上げてはくれないから、ということらしい。自費出版のほうが割がいいというわけだ。たしかに、いまベストセラー・リストを見れば、毎週のように上位に3~5冊程度、自費出版の本がまじっている。これまで自費出版にベストセラーがなかったわけではないが(映画にもなった『マディソン郡の橋』も最初は自費出版だった)、常時自費出版の作品がベストセラー・リストに顔を出しているというのは、これまでの常識では考えられないことだ。では作家にとって自費出版がこれからとるべき道なのだろうか。
 自費出版のリスクは、作家には出版社のもっているような宣伝力、マーケティング能力がないということだ。だが、じつは出版社がもっていたそうした、本を広め、売るための力は、もはや出版社から失われているのが現状だ。代わって書籍の告知、宣伝の役割をになうようになったのがSNSであり、アマゾンなどのネット書店だ。アマゾンがときとして出版社にたいして強硬な姿勢をとるのも、本を売る力は自分たちのほうにある、という自信があるからだろう。では、作家は彼らの新しい本を広める手段を信頼して、自費出版をもっと積極的におこなっていくべきなのだろうか。
 経済的なことを考えるかぎり、その選択肢は捨てるべきではないと思う。ただ、ミュージシャンにとってのライヴを考えるなら、自費出版はそれに匹敵する役割をになっているわけではない。ここでまた連想するのが、ベストセラーを出しながらも、じっさいに儲ける手段を別にもっている作家たちのことだ。いわゆる自己啓発本を書いて、実際にはセミナーやコンサルティングで莫大な収入を得ている人たちである。読者との直接のやりとりがあるライヴ感覚を体験する方法として、サイン会や朗読会や作家を囲む会などのイヴェントがたくさんあるアメリカでも、こうした商売にまさるビジネス形態はないといっていい。小説家にとって、こうしたモデルを導入することは果たして可能なのだろうか。
自費出版が作家にとって魅力的なもう一つの要素が、読者からのダイレクトなフィードバックが得られることだ。作家の講演会の集客力がかぎられてしまう以上、自費出版がそうした役割をおぎなっているのは間違いないことだ。疑似ライヴ感覚があるといって、これを好む作家がいることも間違いない。ただ、やはり音楽におけるライヴとは違うように思う。
小説の楽しさをライヴ感覚で楽しめる場がつくれれば、小説の可能性は広がっていくし、読者も作家も得られるものは大きいと思うのだけれど。それを出版社任せにしてこれまで作れずにきたのは、作家側だけでなく、読者側にも責任のあることだろう。ぼくたち翻訳家にもきっと何かできることがあるはずだ。翻訳というのは作家と読者の双方の立場にたって小説を作っていく仕事なのだから、本当の知恵はぼくたちがもっていなければならないのかもしれない。小説を楽しむ場がもっと豊かになり、作家も安心して創作に向かえるような、これからの時代にふさわしい新しい手法がはやく見つかればいいと思う。