2016年12月25日

アンバー・スパークス「宇宙の清掃員」

アンバー・スパークスの短篇「宇宙の清掃員」をアップしました。
作者から日本の読者へのメッセージ動画も届いておりますので、ぜひご覧ください。>>作品ページ

The Unfinished World: And Other Stories

2016年12月15日

メガン・マキャロン

SFマガジン10月号の特集「ケリーリンク以降――不思議を描く作家たち」で紹介したメガン・マキャロン来日しました。

短篇「魔法使いの家」の翻訳をとても喜んでくれました。ただいま長篇を執筆中ということで、こちらも楽しみです!

2016年8月27日

ポスト・ケリー・リンク


SFマガジン10月号で「ケリーリンク以降――不思議を描く作家たち」として、ストレンジ・フィクションの現況の特集を監修しました。本当に紹介したい若手をとりあげてもらえる機会がなかなかないなかで、ほんの一部ですが、いまを伝えることができたように思います。ご一読いただければ幸いです。なお、作品タイトルが一部なぜか間違ってしまいました。ユーン・ハ・リーのタイトルは目次の「弓弦をはずして」が正しく、本文ページの「弓弦をひらいて」は誤りです。なお、個人的な体調不良で遅れに遅れていますが、このサイトでも同様の「境界作品」を書いている作家を集中的にとりあげてゆく予定です。よろしくお願いします。

2016年2月26日

デヴィッド・ボウイ追悼作品

SFマガジン2016年4月号のデヴィッド・ボウイ追悼特集でニール・ゲイマン「やせっぽちの真白き公爵(シン・ホワイト・デュークの帰還」を翻訳しました。ボウイ・ファン、ゲイマン・ファンはもとより、幅広く楽しんでいただける短篇だと思うので、ご笑覧ください。

なお近況でもふれましたが、東京神田神保町の喫茶店で隔月で〈翻訳を愉しむ会〉という集まりを主催しています。近況では名前を間違えてしまいましたが、3月に取りあげるのはアンバー・スパークスです。ご興味のある方はお問い合わせの上、ご参加ください。英文テキストを事前に配布します。

小川

2016年2月8日

ダン・ヒックス

またしても訃報だ。

60年代からサンフランシスコの音楽シーンを作っていたダン・ヒックスが6日に亡くなった。肝癌だった。

1965年、最初のヒッピー・バンドといわれるシャーラタンズに二人目のドラマーとして参加したあと、67年にはデイヴィッド・ラフレームといっしょにダン・ヒックス&ヒズ・ホット・リックスを結成した。もっとも、デイヴィッドはすぐにまた辞めて、自分のバンド、イッツ・ア・ビューティフル・デイを結成しているから、このころのサンフランシスコのバンドの人の流れはおもしろい。自身、フォーク・ジャズと呼ぶ、いまならアメリカーナに分類されるような、ロックとはちょっと違うテイストの音楽をやってきたのだけれど、そもそもシャーラタンズがそんなバンドだったし、似たようなことをやっている人たちはたくさんいた。仲間とバンドをやるのが楽しかったので、音楽の種類などみんな気にしていなかった。むしろ多様なことが好まれていたのだ。イギリスのバンドに影響されずに楽しく音楽をやろうと思えば、スタイルがいろいろになるのは自然なことだった。もっとも、当時のぼくはロック・キッズだったから、カントリーやフォークやジャズのトーンが濃いバンドはアルバムをせっせと買う余裕もなかったし、聴けば気持ちいいたぐいの音楽だと思っていただけだった。来日公演だっていっていない。最大のヒット曲はI Scare Myself(1969)、ホラーのラジオドラマのBGMにもよく使われた曲だ。ちょっとだけ映画にも出ているみたいだ(ジーン・ハックマン主演の『訴訟』)。

コマンダー・コディとかサル・ヴァレンティーノとかトレイシー・ネルスンとか、アルバムを買いまくったわけではないけれど、同じようにロック本流ではなかったあのころのサンフランシスコのミュージシャンは、それでもいつでも地元では聴くことができたし、突然ポップになってしまったスティーヴ・ミラーや、都会的なR&Bに変身してしまったボズ・スキャッグズのように驚かされることなく、ぶれずに持ち味の音をいつでも聴かせてくれる信頼できる存在だった。こういう人たちは細く長く、ずっと音楽を聴かせてくれると思いこんでいた。たしかにみんなもう年を取っているけれど、ぼくが若いころに聴いていたブルーズのミュージシャンなんて、当時からもう年寄りに思えていたものだ(ちなみにバディ・ガイなんて、今年80歳になるというのにいまだにばりばりの現役だ)。ダンが癌を患ったというニュースは目にした記憶があるけれど、まだまだがんばっていてほしかった。

訃報続きなので、ともかく悲しい。

2016年1月29日

モノ離れの時代へ

最近のお気に入りにCage The Elephantというケンタッキーのバンドがいる。ラジオでかかっていたときは曲のタイトルと聞き分けができずに、調べるのに手間取った。むkしのブリティッシュ・ビートの雰囲気がほのかに感じられるおもしろいバンドだ。
https://www.youtube.com/watch?v=mzhTA7rblWI

そこで思いだしたのがやはり好きなバンドのBlame Sallyだ。こういう文章になったバンド名をこのところよく見かけるようになったのだ。Drive by TruckersとかWake the Deadとか。

https://www.youtube.com/watch?v=k9g3WoCiKqE


もうピンときた人はいるかもしれない。これって日本のラノベのタイトルと同じではないだろうか。『○○の××』といった名詞にしない書名が増えているように思う。アメリカの本でもやはり名詞でない書名は多いけれど、これはいまにはじまったことではない。とはいえ、増加傾向であることもまたたしかだ。

おそらくきちんと定義できる静的なモノの時代から、ベクトルをもって気持ちのほうを問題とする動的な精神の時代(むかしヒッピーがアクエリアスの時代と呼んだこともあるけれど)に移行しようとする準備がはじまっているのではないだろうか。アイデンティティや帰属集団など問題ではなく、どんな気持ちでどこにつながっていくかがだいじだと考えるようになっているのだ。進化の次のステージだ。モノ作りへの郷愁はあるかもしれない。でも、時代が動いていることをこんなことにもひしひしと感じている。

ポール・カントナー

訃報続きだけれど、本当に大好きだった人が亡くなった。ジェファースン・エアプレインはたぶんビートルズとならんでぼくの人生を変えてくれた大きな存在だった。なかでもポールはSF好きで、コンセプトアルバムをはじめ、SFテーマの曲をたくさん作っている。もっとも、シェクリイやライバーのようなオールドSFだけれど。ドラゴンコンというSF大会でも演奏しているし、ヒューゴー賞の候補にあげられたこともある。
http://www.sfgate.com/music/article/Jefferson-Airplane-s-Paul-Kantner-dies-at-74-6791483.php
何度か死にかけた人だけれど、去年からは心臓が悪くてあまりライヴにも参加できずにいたみたいだった。いまは悲しくて何もできない。ご冥福を祈ります。

2016年1月20日

デイヴィッド・ハートウェル

友人でもあり、仕事のアドバイスもいろいろくれていた名編集者のデイヴィッド・ハートウェルが脳溢血で倒れ、脳死と判定されているそうです。悲しいです。
何か考えがまとまったらまたお知らせします。
http://nielsenhayden.com/makinglight/archives/016423.html

2016年1月6日

ジョーダン・ハーパー

思いがけない発見をしたので、ちょっとおもしろい短篇集を一つご紹介しよう。Love and Other Woundsという、ジョーダン・ハーパーのメジャー・デビュー作だ。もともとは自費出版で出していた短篇集American Death Songsを大手のエッコ・プレスが見つけて、数作品を入れ替えて出しただけというものだが、ちょっとおもしろいのはそこでの両者の思惑の違いだ。
エッコではこれを文学作品としてプロモートしている。短篇集なので、ジャンルの新人よりは注目してもらえるだろうという思惑なのかもしれないが、作者をテレビ・シリーズ〈ゴッサム〉の脚本家として売り出しているのだから、明らかにそこにはずれがある。ハーパーのほうはオリジナルの短篇集もパルプ小説の復興を意識して、ジャンルのものと考えていただけに、版元のプロモートに乗ってインタビューを受け、文学的な質問をされるたびにとまどいを隠しきれていない。おそらくは担当編集者がその作品の文学的なクォリティに惚れこんでしまっただけということなのだろうが、そんな多層的な魅力がある作品集だといえそうだ。
実際の作品を紹介してみよう。冒頭を飾るのは‘Agua Dulce’、人種差別主義のサラ金への借金を払えなくなった男が、タイトルのカリフォルニアの砂漠の町を目指して逃げる話だ。タンブルウィードが転がる風景や、追い詰められての銃撃戦など、まるで西部劇だが、カリフォルニア特有の山火事などを取り入れて、リリカルに描いた掌篇である。次の‘Prove It All Night’は、もちろん、ブルース・スプリングスティーンの同名のヒット曲へのオマージュだ。何をやってもうまくいかないダメ女が行きずりの男とボニーとクライドを気取ってガソリンスタンド強盗に入るが……という話。ここで注目されるのが、ヒロインの絶望を描くのに80年代のミニマリズムで採られた現在形(もっともこの場合は一人称だが)の語り口が使われていることだ。じつはこの作品集の収録作の大半が三人称現在形という、ミニマリズムと同じ手法が用いられ、登場人物たちの世界の狭小さと絶望感がみごとに描かれているのだ。その好例が‘Beautiful Trash’という作品で、これは犯罪現場の掃除屋という裏稼業にたずさわる男を描いたもの。主人公は仕事をつうじて掃除の依頼主の闇広報担当の女性と親しくなるが、やがて依頼された次の掃除はその女の死体の始末だった。生きることに何の意味も見いだせなかった男だが、そのとき何かが変わった。男は自分なりの掃除にとりかかる、という話。社会的な価値のない底辺の人間をさすクズと、掃除する対象としてのゴミクズとをかけたタイトルだが、作者の自費出版の出版社名にもとられているくらいお気に入りの作品のようだ。ここでもチンピラにしかなれない、とっくに絶望しているはずの男がさらにまた絶望を味わうという、80年代のダーティ・リアリズムと共通するような痛々しい生き方が描かれている。もちろん、文体は三人称現在形だ。
全体をつうじて、こうしたうまく社会に適応できない落ちこぼれ人種の絶望と、せつない思いが描かれ、80年代的でもあり、21世紀的でもある既視感のある心象風景を、情緒を極力排したミニマリズム的、あるいはハードボイルド的なリリシズムあふれる文章で描いているのが特徴だ。版元ではパルプ・ポエトリーといっているが、言い得て妙だ。けっしてブンガクしていない、チープな生を描きながら、それでもリアリズムに裏打ちされた美意識を保っている。何よりここで感じられるのは、いうのも気恥ずかしい青春の挫折だ。
思いがけない発見というのは、新しい青春小説の形を見つけたということばかりではなく、リアルな犯罪小説にこだわる作者が文学の手法を積極的に取り入れているということだ。ジャンルの壁を壊す動きはミステリーのほうからも起きていることを感じさせてくれたのが、発見であり、しかもこの作者が文学をジャンルよりすぐれたものだとはけっして思っていないのがおもしろい。この作家にとってはおそらくリリシズムというのもまた、文学的な詩ではなく、それこそスプリングスティーン的な、ポップカルチャーに属するものなのだろう。文化のヒエラルヒーが崩れていることを改めて感じさせてくれる一冊だった。音楽評論やテレビの脚本(〈ゴッサム〉のほかにも〈メンタリスト〉など)を本業にしているというのも文学よりポップを感じさせておもしろい作家だと思う。
これを読んで思い出した作家がいる。リチャード・ラングといって、デビュー短篇集Dead Boysがおもしろかったのだけれど、長篇デビュー作This Wicked Worldがいまひとつピンとこなかったのだ。短篇集はやはりミニマリズムの影響下にある文学色の濃いものだったのに、長篇はサスペンスで、しかもプロットもキャラも安っぽいウェスタンを思わせるものだった。あとでその次の長篇Angel Babyがハメット賞を受賞したことを知っても、なぜとしか思えなかった。でも、おそらく一連の作品が書かれていたゼロ年代のアメリカはブッシュ政権のもと、テロの恐怖と景気後退で格差構造が拡大する中、若さが貧困を意味していた時期だった。金銭的にも、生活のオプションに関しても、だ。チープな人生しか選べない絶望が書かれていたと考えたほうが、サスペンス小説として読むより正解だったのだろう。試しに新作短篇集Sweet Nothingを読んでみたら、やはり三人称現在形を基本とするミニマリズムの文学的手法が採られていた。どうやら、ミステリーのほうからも、文学のほうからも、ジャンルの壁は壊れていっているようだ。ついでにおもしろいと思うのは、さりげなくウェスタンがどんなジャンルにも入りこんでいることだ。フュージョン・ミュージックをおもしろいと思ったことはないけれど、ジャンルの壊れた小説の世界はおもしろい。